地の果てで見たもの

夕暮れのサロベツ原野

 

手塩からは国道を離れ、道道106号を稚内へ向けて走る。走りながら、一昨年のツーリングで、彼女とこの道を走った時のことを思い出した。
左手にはどこまでも広がる紺碧の海、右手の緑の原野には風力発電の風車が連なり、その間を、道は真っ直ぐに貫いて走る。行く手遥かには、雲ひとつない空が横たわっていた。
緩やかに起伏しながら伸びる道に、正午の強い日差しが、逃げ水を躍らせている。速度を上げればその分だけ速く、速度を落とせはゆっくりと、僕の速度にあわせて、陽炎は遠ざかる。

 

風力発電の風車

 

一昨年のツーリングのここまでの道程、終始僕の後を走り、決して前へでることがなかった彼女は、ここで、逃げ水を見つけたとき、突然僕を追い越して、猛スピードで走り出した。どこまでも速度を上げ、逃げ水を追いかけ、車に追いつくたびにそれを追い越し、走り続けた。それは、地の果てへ滑り込むような感覚だったに違いない。

やがて左手の沖に利尻富士を正視するあたりで、彼女は路側帯に滑り込んで、オートバイを停めた。エンジンを止め、サイドスタンドを出し、オートバイを傾けた。だが、彼女はそのままオートバイを降りず、ずっと跨ったままでいた。タンクの上に肘をついて、ずっと道の行く手を凝視していた。彼女の肩が小刻みに揺れた。彼女は泣いているに違いなかった。僕はずっと、彼女の斜め後ろから、空と大地と海の狭間にポツンとたたずむ彼女と彼女のオートバイを見つめていた。

 

夕焼けのサロベツ原野線

 

三十分ほどが過ぎたろうか、彼女は曇ったシールドを跳ね上げ、エンジンを始動し、ゆっくりとオートバイを発進させた。僕も、彼女の後に続いた。先ほどまでとは打って変わった、トコトコとしたペースで彼女は走った。

しばらく走ったところで、彼女は右手を上げて、先に行くようにと、僕に合図した。僕が加速して、彼女の脇をすり抜けるとき、彼女は一瞬だけこちらを向いた。跳ね上げたままのシールドの下で、一瞬彼女は微笑んだ。彼女は僕のバックミラーの中で、左後ろの「定位置」に戻った。

 

稚咲内の海岸から望む利尻島

 

今、僕のオートバイのバックミラーには、走りすぎてゆく道と、背景の青い空だけが、映しだされている。あの日と同じように、今日も、逃げ水が走る。それを追って走っているうちに、なんとなく僕は、ここまで、稚内がもうすぐのところまでやってきながら、これ以上北へ進む気力を失っていた。

今日はいったん稚内まで北上して、宗谷岬を回ってから、オホーツクづたいに南下して、夕刻までにクッチャロ湖にたどり着こうと考えていた。宗谷岬という最北限の岬は、今までの僕の旅にとって、いわば「地の果て」だった。北を目指して上りつめてきて、たどり着く果ての「そこ」だった。

日本海沿いに北上してくれば、ここ抜海を過ぎたあたりから、或いはオホーツク沿いに北進してくれば、猿払を過ぎたあたりから、「早く『そこ』へたどり着きたい」と急く気持ちを抑えながら、「どうか無事にたどり着けますように」という、祈りにも似た気持ちに満たされる。

最北限こそ、帰路の始まりだった。「そこ」を経てからの残りの旅路において初めて、僕はある達成感に裏打ちされて、目的としてではなく、純粋な叙情・叙景として、旅を楽しむことができるのだ。

 

 

ところが、いま僕は、不思議とどうにも、もうこれ以上、「そこ」へ近づきたくなかった。最北限を目指すも目指さぬも、今日クッチャロ湖で、今回の旅の目的を、一区切りつけてからでいいように、思われた。
アクセルを緩め、スピードを落としたところの左手に、原生植物群生地の小さな駐車場があり、ちょうどその向かいに、右折して、丘を切り分け、登ってゆく道路があった。交差点には小さな道路標識があり、右向きの矢印と「下勇知」の地名が並んで記されていた。左折して、人気のない駐車場に滑りこんだ僕は、オートバイを停め、ヘルメットをかぶったまま、アスファルトに力なく横たわった。
シールドを跳ね上げると、心地よい風が顔をくすぐった。

 

 

サロベツ展望台からの眺望

 

 

礼文に沈む夕陽

 

 

道道106号 サロベツ原野線

 

夕暮れのサロベツ原野線と利尻富士
夕暮れのサロベツ原野線と利尻富士
(上の画像をクリックすると、サロベツ原野線のムービーが開きます)

 

 

 

利尻にかかる夕陽
利尻にかかる夕陽
(上の画像をクリックすると、ムービーが開きます)

 

 

 

風力発電の風車群
風力発電の風車群

 

 

 

利尻の夕暮れ
夕暮れの利尻島

 

 

 

夕暮れのサロベツ原野線

 

 

 

利尻に沈む夕日
利尻に沈む夕陽

 

 

 

礼文に沈む夕陽
礼文島にかかる夕陽

 

 

 

北緯45度通過点
北緯45度通過点